中国民俗研究家・上田尾一憲が語る、中国民俗の魅力

第50回
臥薪嘗胆・・・耐えろ。

越軍は気が付けば周りはすべて呉軍に取り囲まれ、        
残った兵も負傷兵が3万足らずとなってしまいました。
呉の軍は援軍が次々と駆けつけ、
越軍はもうすっかり孤立してしまいました。

越王勾践はもはやこれまでと心を決めて、
越の国の宝も全部焼き捨てるよう命令し、
3万の兵と共に討ち死にをする覚悟を決めました。
しかし、越の左将軍大夫種は越王勾践に
「死ぬのは容易い事、苦しいかもしれませんが
生きてこの恥に耐え、いつかこの会稽の恥をすすぎましょう」と
進言しました。
このお話が「会稽の恥をすすぐ」の語源となったのです。
しかし一国の王が降伏しても、
はいそうですかと許してくれるはずもありません。
呉王夫差は親の仇である越を打つために
これまで「臥薪」してきたので尚更です。
しかし越の大夫種は呉王夫差が女と金に弱いことを
知っていましたので、
降伏の条件として、
今後越王勾践は呉王夫差の臣下となり、
越国の宝と領土を呉国に献上し、
越国一の美女、西施も呉王夫差に差し上げるとし
降伏したのでした。
西施の噂は呉王夫差も聞いていましたので
さぞかし喜び、降伏を受け入れました。
呉国の臣下、伍子胥(ごししょ)は、猛烈に
反対しましたが、呉王夫差は越王が自分の
配下になるのもまたいいものだと言って
聞きませんでした。
それからというもの、元越王の勾践は
呉の国で野良仕事をしながらも、
この屈辱を忘れないため、苦い苦い獣の胆を
毎日嘗めて、復讐できる日を待っていました。
これが「臥薪嘗胆」の「嘗胆」の語源となったのです。
長い年月、呉王に忠誠を誓ったふりをし
真面目に野良仕事をしていた勾践に
もう呉を攻めてきたりしないだろうと考え、
呉王夫差は越の国に返してあげるように命令しました。
ここでまた伍子胥が猛烈に反対します。
勾践を越に返すなんて正気じゃない!虎を野に
話すようなものだ!と反対しましたが受け入れられず
勾践を越に返してしまいました。

その後勾践は約束どおり、絶世の美女西施も
呉王に送り、更に定期的に宝物を送り敵対心が
ないことをアピールしました。
それと同時に越の国は会稽の恥をすすぐために
着々と呉を攻める為の準備を進めていたのでした。


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