中国民俗研究家・上田尾一憲が語る、中国民俗の魅力

第97回
北京、上海しか知らない人へ。

私がまだ留学していた頃、
友達が故郷へ招待してくれるというので
北京、上海から遠く離れた
湖南省の省都である長沙からバスに揺られて
2時間くらいの所にある湖のほとりの
小さな漁村へ行ったときの事です。
本来なら高速道路にのって
2時間くらいで着く予定だったのですが、
乗っていたバスが故障。
乗客皆でバスを押してもエンジンはかからず、
高速道路上で2時間ほど次のバスが来るのを待っていました。

やっとのことでバスが来て、
これで大丈夫と思ったのもつかの間、
このバスも故障して止まってしまいました。
またもや高速道路上で2時間待ち。

3台目のバスでやっと目的地の遠江という小さな街に到着しました。
2時間で到着の予定が6時間ほどかかってしまいました。
日本ではまずありえないですね。
田舎の方ではまだまだこんな感じなんです。

この街は湖のそばにある小さな小さな街で
そこに住んでいる人達は、湖へ魚を獲りに行き
畑を耕し、鶏や豚などの家畜を飼って
生活をしています。
今日はあんまり魚が獲れんかったな〜といいながら
湖で獲った魚を家に持ち帰って
はらわたを取った後、細かく切り刻んでいました。


使っていた包丁もどこから拾って来たのかと
いうくらい錆びており、
まな板もこれまた汚いものでした。
っていうか作業終わったあとも
包丁もまな板もそのまま外に置いたままだし・・・
そんなんではすぐに錆びる訳だと納得しました。
僕らが見ると「うぁ〜汚い」と思いますが
彼らからすると、これが当たり前なんです。

バスが故障した時も、乗客は誰も文句を言わず
やれやれという感じでバスを押していましたし。
こういった所に私たちと彼らとの間で大きな
差を感じてしまいました。
いつも恵まれた環境にいる私たちですから
なにか不便な事が起きると、それに対して
大きく不満をぶち当てる。
それがあたりまえになってます。

不便な時代から便利な時代へ変わっていく時代を
体験していない私には、今ある便利な環境に
なんらありがたみも感じずに生活しているのです。
ここへ来て普段の便利な生活がどれほど
ありがたいものなのかを感じました。


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2006年11月25日(土)

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