山本理さんの「男が語る美容に効く話」

第16回
捨てる女神あれば拾う神あり

今日はコラム掲載のいきさつについてお話します。

10才若く見られたかったら」を最近まで執筆されていた
TOMOKOさんの最終日の記事を読み、
私も一度挑戦してみようと編集部へ原稿を送ったところ、
なんと採用のお知らせ。
「エ−。本当かな、信じられない」と
自分で自分の頬を叩いたのは9月26日のことでした。

邱先生は面識もない、この一介の素浪人である私に
コラム執筆の機会を与えてくださいました。
これほど嬉しいことはありません。
ありがとうございます。

ところで、「文は人なり」と云いますが、
姓名判断ならぬ、文章判断していただき、
どうにか及第点をいただけたのは、
何故だろうか自問自答してみましたが、
未だもってよくわからないのが正直なところです。

私が初めて手にした邱先生の本は
現在、こちらのハイQに連載されている
「野心家の時間割」でした。
私が社会人になったばかりのことで、
スラスラと読みやすい本だなという
感想をもったことを記憶しています。

そして、本格的に邱先生の本にのめり込むようになったのは、
ハイQを父から教えてもらってからでした。
今まで読んだ本では、
私は小説の「惜別亭」と「被害者は誰だ」が好きです。

そんなこんなで、貪り食うように本を読み、
気づけば、六畳一間の私の住処が
本で溢れかえり、実質四畳一間になりました。

読み終えた本は
古本屋さんへ持っていかれる方も多いでしょうが、
私にとって、本はタイトルさえ見れば、「あの時に読んだな」と
過去の記憶を呼び起こすことができるため、
日記代わりとも云え、ドンドン増える一方です。

また先生の本は、
同じ本を二度、三度と読んでも、毎回新たな発見があるので、
とてもじゃないですが、手放すことなど考えられません。

今日のコラムも終着駅が見えてきました。
「文章を上手に書く秘訣は文章をたくさん書くことだ」とは
「月と六ペンス」で知られるサマセット・モームの言葉ですが、
それならば、屑籠に捨てられたであろう
ラブレターを書いたことも、
まんざら無駄ではなかったようです。

まさに、
「捨てる女神あれば拾う神あり」といったところですね。


←前回記事へ 2008年11月21日(金) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ