伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第94回
桃栗三年…チューリップは?

「7年前に植えてそのままにしていた
オランダ土産のチューリップが初めて花を咲かせた」と
この春、日本から国際電話がありました。
桃栗三年柿八年とはいいますが、
チューリップに7年もかかるとは…。
え、あの時のチューリップが?という驚きとともに
ドイツに移り住むことになった経緯を記すために、
7年前の、2000年のことを思い出す必要があることに
気がつきました。

当時、外国とは全くご縁がなかった状態から、
一度、欧州を自分の目で見てみては、ということが
この年に少しずつ始まりはじめた年でした。
ちょうど、この年、サッカー欧州選手権が
オランダで開かれており、
オランダ王室の色、鮮やかなオレンジ色の応援帽子と共に、
このチューリップの球根が日本にやってきたのです。

第84回に記した「アメリカかアジア以外の場所に…」と
言われた理由の一つに、まず、アメリカは、
オフィスがすでに閉鎖したばかりで
移り先の候補地にもならなかった、ということがあります。

2000年の翌年、2001年の春早々に
アメリカ、ニューヨーク郊外のオフィスが閉鎖されました。
その年の秋、911事件がありました。
日経平均株価が、2万円弱から
するすると1万円付近まで急降下するのを見ていると、
やがて日本のオフィスも整理されるかも、という
憶測が次第に、現実味を帯びるようになりました。
やはり、どこかに移らなくてはならないのだろう、
と漠然と受け止めることができました。

一方、アジアが移動の候補地から真っ先に外されるのは、
その当時の私には、論外で、強く不思議に思いました。
邱先生のコラムを読み続けていると、
中国は今から、ベトナムやタイ、カンボジアも
これから、ますますという活気に満ちていることがよく分りました。
物価は、日本よりずっと安そうだし、
日本からも近いし、今の時代に国を出て住む方角としては
素晴しく魅力的に見えました。

こういう時、
「アジアは、私があと少し歳をとってからでも、
興味を持つに間に合うのかもしれない」
などと勝手な理由を考えて、自分を納得させるのが精一杯です。
だからと言って、欧州ということにもなりませんでした。
ロシア、南米、アフリカ、中近東と考えるとキリがなく、
このまま月面に行けと言われてもちっとも不思議ではないと
思えてくるほどでした。


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2007年6月11日(月)

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