伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第104回
渡航準備は家電の処分から

第95回のお話の続きをもう少し詳しく書くと、
実際にフランクフルトへ行くと本当に最終決定したのは、
2003年の暮れ、渡航たったの1ヶ月前でした。
国外に移り住む話を下さった人については、
明らかに信じて駒を進めることができましたが、
受け入れてくれる側の正体や実態も
よく見えないままでした。
提示される条件が良いとは言えず、むしろ最低条件でした。
しかも、相手が本気で受け入れるつもりかどうかも
さっぱり見当がつきません。

今から思えば、当時は、
欧州中の企業が国境を越えて、合併したり、
買収したり、されたりを繰り返しては経営の効率化を図って
オフィスを短期間に転々とさせていた時代です。
誰もが明日の自分の首がどうなるかも分らず、
不安で一杯の頃に、どこの馬の骨だか分らないアジア人が
欧州にやって来るらしいという話を聞くと、
誰もが納得できない気分だったろうと思います。

会社都合で次々と繰り返される地球規模の統廃合の中、
指定される次の移転「国」について行けるようにし、
しかも、それに対する自分の家族の賛同も得られなければ、
地元で自力で職探しする他、誰もがなす手段がありません。
この厳しい状況は、あの時、欧米人にもアジア人にも
全く同じだったのです。
そういう状況なので、受け入れてくれる側の正体や実態も
できあがったものではなく、見えなくて当然でした。

こんな欧州事情を露とも知らず、
明確にならない話がとりとめもなく続くので、
最終的な段階で、手の平を返したように全てが
キャンセルされる事態も起こりうると腹をくくりました。
でも、国を速やかに出て時代の流れに乗るには、
それまでの生活で使ってきた家財道具を片付け、
家を畳んで渡航準備を済ませなければなりません。
自分でも明確に見通せず、
日本では起こりえないような複雑な状況を、
一々細かく説明して回るわけにもいかなかったので、
「この度、ドイツに住むことになりました」と
もういかにも全てが決定したかのように
自ら、きっぱり公言して準備を進めるしかありませんでした。

日本に残す荷物のためにトランクルームなどという
費用補助は、どこからも一切、出てきません。
日本に残す荷物をできるだけゼロにするしかありません。
先行きを見極め切らぬまま、
昨日買ったばかりのような新しい家電のほとんどは、
ドイツでは使えないので、処分するしかありません。
まだ使えそうなものを譲ったり
廃棄したりすることは、もったいないと思えてきます。
今日までは一体、何だったのか?とふと弱気になって
考えてしまいそうになるのは、感情的に耐え難いものです。
でも、こういう時こそ、思い切って手放さなければ、
この先の話が絶対に上手く続かないことも
頭の片隅では、よく分るのです。


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2007年7月4日(水)

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