伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第116回
ドイツで「生活習慣病に挑戦する」

行けばなんとかなるだろうと、思いながら、
一通りの準備を終えて、
フランクフルトに渡って、ふと気が付いたときには、
年は改まり、2004年は2月になっていました。
生まれてこの方、引越しばかりを経験しており、
どこに行っても住める、何があっても住める、
という妙な自信がたっぷりあったつもりでした。

けれども、移住という崖のぼりのふもとまで来たところで、
身体が思うように動かなくなってしまいました。
大病を患ったことが無かったのに、
どういうわけだか、ドイツに来て1ヶ月と経たないうちに、
毎日、起き上がるのがやっとの状態でした。
これまで数年分の疲れが出たのだろう、
寝たら治るだろうと勝手にそう判断していたのです。

今でこそ、気を楽にして書けますが、
ドイツ住まいの最初の2ヶ月と経たないうちに
まず、頭髪がたっぷり抜けてしまいました。
その後、次第に、物忘れはひどくなるし、
開けた窓の角で何度も頭をぶつけるし、
転びやすくなるし、しかも、これらがひどくなる一方で、
治る兆候がさっぱり見えませんでした。

この邱先生のホームページに出会えただけも、
私にとっては大きな幸運でした。
さらにその上、まさにちょうど2004年2月から、
豊岡憲治先生の「生活習慣病に挑戦する」が始まったのは、
私にとっては、奇跡中の奇跡としか、言いようがありません。
特に、北国のドイツの生活にあっては、
豊岡先生のコラムで書かれている内容を
できる限り正確に把握して生活の中で実践できない限り、
私は、到底ドイツに住める状態ではなかったのです。

若い頃、一番最初に関わった私の仕事は、素材の研究でした。
仕事柄、科学研究者の報告書や論文、
特許などを読む機会が多かったのです。
科学の文章にも、伝えたい内容の種類や
伝えたいと思う相手の人によって、文の運びに特徴があります。
豊岡先生のコラムの文章からは、
科学者が研究の中で
自然の摂理にとても近いものを発見したとき、
万人に広く、その重要性や有用性を
伝え記したいときの文章の流れとそっくり同じタイプだな、と
思っていたのです。

でも、その後も、長い間、私には豊岡先生のコラムの内容を
正しく読み込むことができませんでした。
実際に豊岡先生のコラムの内容ときちんと向き合わなければ、
この移住は成功しない、と悟ったのは、
移住という崖のぼりの5合目を過ぎたあたりでした。


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2007年8月1日(水)

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