伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第145回
「さぁ、話せ」って言われても…

話し合いの場所で
やれやれ、やっと自分が話す番がきたと喜んで、
ここで初めてぶちあたる壁があります。
この壁にゴツンと頭をぶつけてみて、
「私は、何をどこからどう話せばよいのか、
サッパリ分からない」ということに気がつきます。

相手が日本人でなければ、尚更です。
相手が持つ常識が自分の持つ常識と同じものかどうか
確かめながら、上手く話を進めていく技なんて…。
長年住んでいた日本の教育の中に
この技の習得に該当する訓練を思い出そうとするのですが、
私には何も思い当たらないのです。
日本には、周囲と異なる1人の人間として話をし、
フェアに自己主張するための訓練の場が
少なかったのかもしれません。

また、「語学にさえ達者であれば国際人になれる」
などというのは、夢物語なのかもしれません。
たとえ、語学の達人であったとしても、
相手と何をどこからどのように話し合えばよいのかは、
まったくの別問題なのですから。

第136回に記した1件で
「もう誰も助けてはくれない」と自覚してから、
自分でモノを言おうとしてみて、
実は、私はモノ言えない日本人に過ぎなかったと
気がつきました。
そして、この弱点を
ほんの少しでも克服しよう、と思いました。

「ドイツに住む」条件を整えていくために、
誰に何をどのようにモノ申して、
交渉を始めようとすればよいのか、
その権利を訴える正当な土俵を
整えるにはどうすればよいか…
などということを調べたり
考えたりすることが始まりました。

そしてこの頃、私は、
欧州に住む日本人として熱心であるより前に、
まず、欧州に住むアジア人になろう、と思いました。
ドイツ人だけでなく
欧州各国から寄せ集った彼らとの話には
私が「即席の欧州人」になりきろうと努力するのではなく、
彼らとはもともと違う、「アジア人」の考え方を持って
自己主張しようと努める方が有利に思えたのです。
モノを言うのが上手そうな、
アジア人の友人、知人の顔を思い浮かべ、彼らなら、
こんなとき何を考え、どこからどう解決するだろう、
などと考えるようになりました。


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2007年10月8日(月)

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