伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第243回
コロッセウムの流儀

欧州暮らしに不自由して生活条件を整えようと
始めた交渉を進めるうちに、欧州社会の真の姿を
いよいよ知ることになりました(第237回)。

欧州は、「コロッセウム競争型・不揃いリンゴ」社会です。
この競争社会で生き抜くためには、
「コロッセウムの流儀」を知ることが必要不可欠。
それ以降の1ヶ月半というもの、
生傷に塩を揉み込まれるような気分で
この流儀を飲み込まなければなりませんでした。

古代ローマのコロッセウムでの競技は、
皇帝が観戦するものとはいえ、
人間同士が血を流し、野蛮さ剥き出しにして、
戦うものだったそうです。

私がここで「コロッセウム」をイメージしながら
お伝えしたいのは、欧州の競争社会での「流儀」です。
日頃、彼らが互いに「どう実力を競うのを良し」とし
「どう決着がつくのを望むのか?」、
そんな競争社会のスタイルが、
私には、古代のコロッセウムでの決死の格闘スタイルと
よく似ているように見えます。

現代の社会生活では、血を見せ合わなくとも、
まるでコロッセウムの中で戦うように
遠慮や気遣いなど微塵も一切ない極みで、
強い意思を激しくぶつけ合います。
しかも、コロッセウムの戦いには、対決者の他に
一部始終を観ているギャラリーが大勢います。
その勝負が簡単に決まるようでは、
コロッセウムのギャラリーは満足しません。

例えて言うなら、こんな具合です。
水と砂糖を鍋に入れて火に掛けると飴ができます。
少しずつ水を加えたり、砂糖を加えたりを繰り返し、
ほど良い濃さの砂糖水になると、
時間をたっぷり掛けてねっちり熱く煮詰め、
頃合を見計らってそれを取り出し、練っては延ばす。
そして、ここぞというポイントに状況が整ったと
見定めた瞬間、核心を突き、
パッと美しく2つに切り落とす。

どちらの飴が美しく然るべき形に決まったか、
誰の目にも明らかに勝敗が分かる…。
コロッセウムでの勝負には、そんな流れがあります。


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2008年5月23日(金)

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