第1980回
アマの日本語の先生が7名出揃いました

前に上海の日本語学校で
教師の先生を新しく進出してきた日本企業に
盛んに引っこ抜かれて
教師不足をきたしたので、
この欄で日本語を教えながら
中国語を勉強する人を募集したことがあります
その時、大へんな反応があって
約30名の方が応募して下さいました。
その中から先着順に人を選び、
それぞれの都合で早く来た人もあれば、
遅れてきた人もありますが、
7月に入ってやっと7人の方が出揃いました。

私が上海に行ったら、
学校の方で皆と顔合わせをしてくれませんかと言うので、
1日、永華ビルの私の部屋に集まっていただいて、
ちょうど雲南省から届いた
「宝の山」ブランドのコーヒーを飲みながら、
楽しい一時をすごしました。
私が面接をして決めた人たちでありませんので、
いずれも初対面ですが、
7人のうち1人が女性、年齢は30才前後ですから
若さに溢れたいい会合でした。

いままでだと
教師を志望する人たちが集まってきたのですが、
今回は中国大陸で新しい仕事を探がし、
夢を実現したいという人たちばかりですから、
先ず意気込みが違います。
学校にして見れば
2年でいなくなってしまう人たちですから、
新米の先生がやっと生徒に慣れたところで
いなくなってしまうことを
覚悟しなければなりません。
勝手が違って戸惑っているようですが、
私はそれでよいと思っています。

人生の或る時期、
教壇に立つのはとてもいいことです。
なぜならば教えるということは
教えられるということでもあり、
人がどういう具合に反応するのか、
身を以って覚えることができるからです。
2年間やっている間に
上海の事情にも通ずるようになるし、
何よりも中国の人たちと
意思が疎通するようになります。
本人たちもとても張り切っていましたが、
そういうシステムを思いついた私も、
我ながらうまいことを考えついたものだと
自画自賛しているところです。
但し、片言の中国語も喋れない連中が
生徒たちからいい先生だといって
慕われるようになるかどうかは
まだ時間がたってみないとわかりません。


←前回記事へ 2005年8月11日(木) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ