元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1045回
忘れえぬ友のこと

暑い夏が来ると、
思い出すのは、同じ食道ガンと闘って、
共に悲しみも喜びも分かち合ってきた
作家の倉本四郎さんのことです。

僕と同じで、やはり手術を拒否。
放射線療法に加えて、
野口整体という気功体操や、
玄米菜食にも熱心で、
日々、養生に励んだのですが、
どうしてもタバコを止めることができず、
それだけが原因ではないでしょうが、
2年前の猛暑の7月に亡くなられたのです。

誰にも話せない
闘病の失敗談や挫折についてだけでなく、
倉本さんの小説やエッセイの執筆内容についても
あれこれと相談して、
お互いに、生き抜くエネルギーを高め合ってきた間柄です。
まさに「心の兄弟」でもありましたから、
倉本さんの訃報を聞いたときは
脳天をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
この世に神も仏もいないのか!と
人生の運不運、人生の不公平をなじったこともありました。

以来、2年、ふと、ものを書きながら迷ったときに
倉本さんにメールを打ちたくなることがあります。
いや、「シローで〜す」といって
むこうから電話が掛かってくるような気がするのです。

倉本さんとの話については、
このコラムでも何度も書いてきましたが、
話をするときの笑顔が
キラキラと輝いている少年のような人でした。
ですから、楽しい思い出もたくさんあるのですが、
思い出すたびに、僕の体に“悲しい痛み”が走るのです。
7月23日が2周忌です。
たくさんの仲間がお墓参りに参ることでしょう。

忘れえぬ人といえば、もう一人、
末期の肺ガンを宣告されながら、
イレッサの分子標的治療と、
マクロビオティック玄米菜食法、
天仙液やサプリメントで奇跡的に回復して
元気に過ごしていた原田廉平さんのことです。

その闘病は夫婦二人三脚。
僕たち夫婦とは、まさに夫婦ぐるみで
ガン養生の情報交換を繰り返してきた仲です。
故郷の富山で、スローヘルス研究会も立ち上げて
自分の体験を多くの人に伝えようと、
じつに前向きに過ごされていました。
この原田さんのことも何度かこのコラムで書きました。

奥さんやお姉さんの献身的な支えに、
安心しながら過ごしておられるのが印象的でした。
その原田さんの症状が、突然、悪化したのは
倉本さんとは正反対で、
厳寒の冬が始まる半年前のことでした。

先日、やっと悲しみから立ち上がった
奥さんの清美さんから「偲ぶ会」の手紙が来ました。
「皆さんのお陰で、
 夫は充実した日々を過ごさせていただきました。
 あれから半年を迎えます。
 8月に、夫の意思を受け継いで、
 スローヘルス研究会を再開しますので、
 ぜひ、お出でください」
この夏は、忘れえぬ、
ふたりの友と再会する夏となります。


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2005年7月7日(木)

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