「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1008回
リトルコリア・三河島(その1)

先週末に紹介した松戸の旧市街の散策を終えて
腕時計を見ればすでに17時を回っている。
今宵はどこで飲み、何を食べるとしようか。
祝日のため、開いている店舗は限られている。
「そば処 関宿」(第846回参照)はいつも通りに
営業していようが、去年も墓参後に訪れた。
バカのひとつ覚えだけは回避しておきたい。

“そば処”がダメなら“酒処”があるサとばかり、
「酒処ひよし」に回ることを考えた。
日曜休みなので祝日は営業している可能性がある。
そう思いつつ松戸駅に差し掛かったとき、
常磐線の上り列車が上野方面に走り去った。
この快速電車は松戸を発つと北千住まで停まらない。
あとは各駅となって
南千住―三河島―日暮里―上野と停車してゆく。

ここでJ.C.、ふと思った。
特別の用でもなければ訪れることのない三河島で
かつて飲んだことは一度もないのではないか。
周辺の町屋・三ノ輪・東日暮里あたりでは
しょっちゅう飲んでいるにもかかわらずだ。
そんな縁薄い町で一杯やるのも一興。
思い立ったが吉日、1分後にはポケットのスイカが
松戸駅の改札口にペタンと押し当てられたのでした。

荒川区・三河島は1962年の列車事故で
日本全国津々浦々にその名を知られた町である。
死者160名という多重衝突事故は
翌年の鶴見事故(死者161名)とともに
未曾有の大惨事であった。
記憶に新しい、あの福知山線脱線事故(2005年)を
死者数(107名)で上回っているのである。

「地下鉄の電車はどこから入れたの?」――
このセリフで有名な漫才師、春日三球の元相方、
クリトモ一休もこの事故で亡くなった。
もし事故が起こらなかったら
三球・照代のコンビ結成はなかったかもしれず、
「地下鉄はどこから・・・?」の名文句も
生まれなかったかもしれない。

三河島はコリアン系の住民が多く、
新大久保とはまた違った雰囲気を持つ、
コリアンタウンを形成している。
焼肉や家庭料理の店が駅周辺に立ち並んでいる。
情報らしい情報もない中、
以前、何かで知った「伽耶」という店の名前だけが
記憶の片隅に残っていたので出向いてみた。
窓ガラス越しに店内をのぞくと
子連れのファミリーが2組揃って宴席を張っており、
ずいぶんやかましそうな光景に二の足を踏む。

路上で思案していると隣りの家庭料理の店から
携帯電話片手にひょっこり出てきた娘さんに声を掛けられ、
しきりに当該家庭料理店をすすめられた。
晩メシは焼肉と決めている身、その旨を告げる。
すると「焼肉ならここ!」こう強く推されたのが「九里味」。
地元の人々の間でも評判なのだという。
それなら間違いがあろうはずもない。
「コイツは春から縁起がいいや」――丁重に礼をのべて
いそいそと歩き始めたのである。

             =つづく=

 
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2010年5月17日(月)

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