「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1023回
狭い地域に2軒の「金寿司」(その1)

多くは語りませんので最初にひとことだけお許しを。
J.C.的には、あらためて岡チャンに愛想がつきました。
もはや罪悪を突き抜けて(第1015回参照
乱心、あいや、狂乱されたのではないでしょうか。
とすれば、狂人に罪はございません。
以上!

とかく和食店の屋号は似通うことがある。
似ているだけなら別段どうということもないが
同名となると厄介な問題も起こりうる。
お互い遠く離れていればよいけれど、
近所に同名のしかも同業店があるのは
けっして喜ばしいことではない。

日本そばの御三家、「藪」・「砂場」・「更科」は
都内いたるところで目にする。
「長寿庵」もかなりの数に上るだろうし、
大衆的な「満留賀」は極論すれば、町内に1軒はありそうだ。
尾張名古屋はきしめんと味噌煮込みうどんが
大手を振って歩いている地域。
だのに、東京に「尾張屋」がいかに多いことか。

うなぎ屋となると、第一に「宮川」を挙げねばならない。
ただし、「宮川」は焼き鳥屋にもよくある屋号。
築地「宮川本廛」の隣りには「宮川食鳥鶏卵店」があり、
前者は明治26年、後者は明治35年の創業だ。
何らかの縁戚関係があったものと想像できる。
うなぎ屋には「稲毛屋」と「山ぎし」も少なくない。

さて、今日の本題は2軒の「金寿司」。
さして広くもない御茶ノ水・神保町界隈に
同名店が2軒あるのは相当厄介だろう。
1軒は明治大学近くにあり、地番は小川町。
ここは冬場の皮はぎが何よりで
すでに何回かおジャマしている。
もう1軒は神保町「神田鶴八」の1本筋違い。
この辺では最古の鮨店で創業は昭和7年と聞いた。
1年半ほど前に近所から移転してきてモダンな店構え。
若い店主、その母と姉の3人で営んでいる。

5月末に初めて「金寿司」の暖簾をくぐった。
こちらの店は初訪問なのである。
ひとしきり店主と言葉を交わす。
何でも小川町に予約を入れた客がこちらに来たり、
その逆もあったりで、とにかく困ったものらしい。
だからといって今さら屋号を変えることもできず、
お互いずっとこのまま併存するしか手立てがないようだ。

突き出しの天豆、帆立の生姜煮で生ビールをやる。
小さめのグラスなので立て続けに数杯。
つまみを切ってもらう前に
干しほたるいかと本つぼ鯛の塩焼きをお願いした。

おもむろに目の前のケースに視線を落とす。
おう、やはりここにもあったか、思わず破顔一笑。
今年は江戸前の蝦蛄(しゃこ)が揚がるようになった。
蝦蛄といえば、何たって三浦半島の小柴。
やや小ぶりながら、濃い小豆色が小柴産の証しだ。
何年ぶりのことだろうか。
一度はあきらめ切っていただけに嬉しさもひとしおだ。

無類の蝦蛄好きを自認するJ.C.は
コイツの姿を見ただけで欣喜雀躍。
逆に獲れない年は切歯扼腕ということになる。
さっそくつまみで、半分はわさび、
もう半分は煮ツメでいただいた。
自分の頬の緩みが実感できた。
家出した娘が数年ぶりで帰ってきたときの
親父の気持ちって、こんなふうではなかろうか。

            =つづく=

 
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2010年6月7日(月)

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