「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1140回
大きなクスの樹の下で(その1)

本郷の大楠(おおくす)をご存知だろうか。
樹齢700年にならんとする大木は司馬遼太郎をして
「一樹で森を思わせる」と感嘆の筆をはしらせたほどのもの。
およそ700年前と言えば、その名も楠正成、
人呼んで大楠公の時代である。
湊川に命を散らした悲劇の武将の生まれ変わりとして
ところは変わって本郷なれど、
世に現れた大楠だとすれば時代的にはピタリと合致する。
江戸時代にはこの地に正成の血を引く、
甲斐庄氏の屋敷があったというのも何やら因縁めいている。

大楠の存在をまったく知らずに
たまたま散歩の途中、遭遇したときには度肝を抜かれた。
「ありゃあ、よくもこんなところにこんな大木が!」――
だったのである。
青春時代から本郷にはなじみがあった。
東大に通ったことはなくても
農学部の芝生で酒宴を繰り広げたことだってある。
すでに“時効”だから白状するが農学部前の老舗酒屋、
創業1751年の「高崎屋」で缶ビールやら一升瓶やら
サントリーレッドなんぞを買い込み、
守衛の目を盗んでフェンスを乗り越え、
夜中に宴会を開いちまうのだからトンデモない悪ガキどもだ。
今の時代には考えられないことで、即刻“お縄頂戴”であろう。

話を大楠に戻す。
現在、この樹の下に仏料理店「ペジーブル」がある。
以前は「楠亭」なる亜フレンチだったが
経営者が替わって純フレンチとなった。
ブルゴーニュはシャニーの町のミシュラン三ツ星、
「ラムロワーズ」出身のオーナーシェフが腕を揮っている。
率直に言って料理はおいしい。
マダムの接客も好感が持てる。
テーブルの間隔がゆったりとして居心地もよい。
加えて窓の外には幾星霜、時代を超えて生き抜いた大楠だ。
三拍子も四拍子も揃った、界隈きっての佳店といえよう。

気の合った仲間と一緒に欧州の旅に出たのは3年前。
「ラムロワーズ」も訪れた(第332回参照)。
そのメンバーを中心に“あの味をもう一度”と
「ペジーブル」に終結したのは総勢十余名。
再会を祝い、店が用意してくれたシャンパーニュで乾杯。

最初のお出ましはフレンチのお定まり、アミューズ・ブーシュ。
当夜はしいたけのフランだった。

フランは仏風の茶碗蒸し
photo by J.C.Okazawa

中華料理のちり蓮華みたいな容器がユニークだ。
ここで思い出したが初訪問の際、
マダムを助けて接客に務める白衣姿のシェフを見たとき、
フレンチよりも中華のほうがシックリくる御仁だと感じた。
後日、その旨を彼に伝えると、大きな身体を揺すって破顔一笑。

前菜はサーモンのタルタル。

ディルはサーモンに必要不可欠
photo by J.C.Okazawa

このシェフはサーモンを冷菜に使用するのが得意。
初回もスコットランド産サーモンのマリネで始まった。
ブルゴーニュの銘醸白ワイン、プイィ・フュイッセが
サーモンの脂をゆるりと流し、コク味だけを舌に残してゆく。

 ミラボー橋の下をセーヌは流れ ぼくたちの愛が流れる
 思い起こすのは 苦しみのあとに歓びが訪れること
 暮れゆく日に鐘よ鳴れ 月日は流れ 独りぼくは残る

学生時代に好んだ詩、アポリネールの「ミラボー橋」を
心なしか連想させるプイィ・フュイッセであった。

            =つづく=


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2010年11月17日(水)

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