また西洋菜炒牛肉の西洋菜とは西洋料理に出てくるクレソンのことである。クレソンは普通ホテルのレストランで肉料理のつけあわせとしてナマのまま出てくる野菜で、西洋人はそのまま生食している。やや苦みがあっていかにも鉄分を多く含んだ感じであるが、昔は鉄分は肺病によいと考えられていたから、クレソンは病弱者の特効薬であった。クレソンをどうして広東人が西洋菜と呼ぶようになったかというと、十七、八世紀の頃、ヨーロッパから東へ東へと渡航してきたのはポルトガル人が最初であった。そのポルトガル人を広東人は大西洋人と呼んだから、西洋菜とはポルトガル人の野菜というほどの意味になる。なんでも広東あたりへやってきたポルトガル人が中国人の船乗りをやとったところ、その中国人が肺病で航海に耐えられないことがわかったので、離れ島に停泊したときに置き去りにした。つぎにまたその島に寄ったとき、どうせもう生きていないだろうと思ったら、すっかり元気な姿を見せたので、驚いてどうしたのかときいたら、川っぷちに生えた芹を食べていたという。その芹をポルトガル人が採取してわざわざ中国まで持ってきて伝えたというのである。はたしてその通りかどうか確証はないが、広東人はクレソンを常食とするようになり、香港には西洋菜街という名前の町名がいまに残っている。おそらくその附近にせせらぎがあって、クレソンがたくさん生い茂っていたところではないかと思う。西洋人はクレソンをナマで食べるが、広東人はこれで牛肉を炒めたり、豚肉の塊と一緒に煮てスープをつくる。一種、独特の風味をもっているが、日本人には物珍しさの方が先に立つかもしれない。

また什錦河粉の什錦は五目の意味で、河粉は、米の粉でつくったひもかわうどんと思えばよい。うどんのように乾燥したものを水に浸けて戻して、油で妙める。豆鼓(日本でいう浜納豆)で味つけをするのが広東風の調理法であるが、東京の中華料理屋へ行ってもたいていは「売り切れ」といってめったにお目にかかれない。
その点、うちの料理は手放しで自慢するほどのことはないが、手間ひまをいとわず、料理屋では敬遠する料理を丹念に時間をかけてつくる。そういう誠意がやはり心ある人には通ずるのであろう。一度、私の家で食事をした池島信平さんはいたく気に入ってくれて、
「邱飯店の料理は素晴らしいよ」
と会う人ごとに宣伝してくれた。『文藝春秋』が宣伝するより、編集長のロコミの方が遥かに威力があるので、私のうちの料理はたちまち人口に膾炙するようになった。

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