二十九、宰相夫人佐藤寛子ミニおばさん

歴代宰相のなかで、私が割合に好感をもったのは佐藤栄作さんである。佐藤さんとは、佐藤さんが造船疑獄から政界に返り咲いて第二次岸内閣の大蔵大臣になったとき、新聞社に頼まれてインタビューをしたのが初対面であった。つぎに会ったのは、四国の徳島に向かう水上飛行機の中で隣り合わせに坐ったときだった。日清食品の安藤百福社長が佐藤さんと親交があるときいていたので、「安藤さんと親しいそうですね」ときいたら、「そうなんですよ。しばらく会わないけれど、どうしていますか?」と聞きかえされた。「チキンラーメンというインスタント食品をはじめましてね、うまくいっているようですよ」「そりゃよかった。よろしくいって下さい」そんなとりとめのない話をして別れたが、その晩、徳島の宿に泊ってテレビのスイッチをひねったら、杜会党の浅沼稲次郎委員長が刺客にあって刺されたニュースにぶつかった。
だから正確な時日は年代表をめくればすぐにわかる。
第三回目は佐藤さんが宰相をおりられてからであった。佐藤内閣は七年八ヵ月もつづき、その間、私は特に用事もなかったし、時の権力者に会うのはなるべく遠慮したい気持が強い方だから、いっぺんも一緒にならなかった。あるとき、中曽根康弘さんが私に、「邱さんは株式予想の名人だが、総裁選挙はどう予想なさいますか」ときいたので、私は、「中曽根さん。佐藤栄作という人は、人事のうまい人だから、あなたの予想するより総理大臣としての寿命の長い人ですよ」と答えた。「なるほど」と中曽根さんは頷いたが、はたして私の返答をどう受けとったか。一、二ヶ月もすると反主流派の一方の旗頭である中曽根康弘が入閣して主流派と協力体制に入ったことが新聞に報じられた。風見鶏などと悪口をいわれているけれども、中曽根さんに、風見鶏以上の高感度のレシーバーが備わっていることは確かだと思う。

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