三十、〃食通知ったかぶり〃紳士録

世に「食通」と呼ばれている人たちがある。私などもよくその中に入れられているが、「食通」とは食いしん坊のことをいうのだろうか、それとも食べ物について造詣が深くて、あれこれ講釈すべき知識をもっている人をいうのであろうか。もし前者のことをいうのなら、自分はそうだと思う人は多いに違いない。しかし、半可通が通人のごとく振舞うことをいうのなら、「食通」の肩書きは遠慮したいと考える人はもっと多いに違いない。日本語の「食通」には、そうした微妙なニュアンスが漂っているので、食べ物のことを書く場合でも、なんとなく気恥ずかしい思いをする人が多いのである。丸谷才一さんが『文藝春秋』に食べ物の話を書いたとき、わざわざ「食通知ったかぶり」という表題にしたのも、そうした心理状態を反映したものであろう。
この連載がはじまったとき、私はすぐにとびついて読んだところ、一回目に「神戸の街で和漢洋食」という話が出てきて、読みすすんでいくうちに、突然、私の名前に出くわした。
「別館牡丹園の料理があまり気に入ったので、その夜わたしは宿に帰ってから、また広東料理のことを考えた。今度は文明論的というよりもむしろ文学的なことで、というのは、いつか邱永漢氏の『食は広州に在り』で読んだ、宋の大詩人・蘇東坡のことを思い浮べたのである。(この邱氏の本は名著である。戦後の日本で食べもののことを書いた本を三冊選ぶとすれば、これと檀一雄氏の『檀流クッキング』と吉田健一氏の新著『私の食物誌』ということになろう)」
私は思わぬ人が思わぬ本を読んでいるものだな、とびっくりしたが、選ばれた他の二人とも、私の家へ見えたことのある人たちであるのに偶然ならぬものを感じた。私の『食は広州に在り』は龍星閣という変わった本屋さんから出版されたものであり、発行された部数からみても、多くの人々の目にふれているとも思えない。ただどういうわけだか、食べ物の随筆集を編集する企画があるたびに、いつもこの中の一章か二章が必ず再録されてきた。丸谷さんの文章を読むと、ちゃんと龍星閣版の本で読んでいるらしいのである。

1  

←前章へ

   

次章へ→
目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ