食べ物に情熱をもち、千里の道を遠しとせずして美味を求めて食べに行く人のことを、中国語では「食家」という。「食家」は食べることについて研究心のある人のことであるが、これは専門的な職業ではない。したがって「食家」になって、飯が食べられるようになってはいけない。本を書いてよく売れて生活の足しになるくらいはご愛嬌でよろしいが、それが本職みたいになると、だんだん見苦しくなってしまうのである。
「食家」には「食家」を知るというようなところがある。どうせ料理をして人をご馳走するなら、料理を心から賞味してくれる、味のことのよくわかる人をご馳走したいと思うのも、人情である。だから長い間に、私の家へ招待した人たちを数えあげていくと、世間から「食通」として遇されている人たちも多くなった。「食通」ばかり集めてご馳走するわけではなくて、バラエティを考えて、なるべくお互いに職業の違う、ふだん一緒になる機会の少ない人たちに集まってもらう。その中に一人か二人、料理にうるさい人が加わると、俄然、食卓に活気がみなぎってくるのである。
我が家にご招待したお客の中で、食べ物について名著をかずかず書いておられる方は、前記の丸谷才一さん、團伊玖磨さんのほかに、荻昌弘さん、開高健さん、友竹正則さん、辻静雄さん、松山善三・高峰秀子夫妻、古波蔵保好さん、角田明さん、玉村豊男さん等々、いつの間にか、日本国中の「食家」たちを網羅するようになってしまった。
これらの人々の中には病こうじて遂に台所に立つようになった人もある。またテレビは実演を重んずるから、料理をさせないと気がすまず、それぞれの人にエプロンかけさせてテレビ・キッチンに引っぱり出したりしているが、「食家」と「料理人」は違うものだと思う。料理人はごく最近まで職業的地位の低いものであったが、食が重んじられるにつれて次第に地位が向上してきた。ヨーロッパでも、三つ星のレストランのオーナー兼シェフは、雑誌やテレビに登場するようになっている。それはそれで結構なことであるが、「食家」の方はいってみれば、消費者代表のようなものであるから、地位が問題になる立場ではない。地位があるとすれば、音楽家とか作家とか評論家としての地位であって、それぞれの本職とかけ離れたところで、カンカンガクガクするところに面白さがあるのである。食いしん坊に共通の傾向は、本当のことをいうことで、料理人にきこえないところで、まずいものをうまいという人は一人もいないのである。

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