徳 と 背 徳
われわれの住んでいる世界は相当に悪い世界である。悪人が栄えて、善人がバカをみることが多い。
ところが、この世界に対して人間がとることのできる態度はおそらく二つしかない。一つはこの世界に生きることであり、もう一つはこれから退くことである。退くことの最も極端な形は、山間僻村に庵を結んでいっさいの世事にかかわらない、いわゆる隠者生活を送ることであるが、この思想の代表選手はいうまでもなく老子である。これに対して、なるほど悪い世界だが、元気をだして生きようじゃないか、というのが孔子である。
この二人の考え方は一見、裏腹に見えるが、実はお互いに関係があって、物にたとえれば、孔子が米の飯で、老子は飯から変じた酒のようなものである。われわれは米の飯なしに生きていけないけれども、米には米の苦さがあるから、酒への誘惑は相当に強い。孔子自身がつねにその誘惑を感じたことは『論語』の随所に見いだされる。
孔子は在世中にすでに名声が諸国にきこえていたが、権力を実際に握っている王侯や大夫からは大事にされない不遇なインテリであった。いい年をして国から国へと放浪の旅を続けていた。楚から蔡へ帰ろうとする途中、弟子の子路(しろ)とある道を辿ると、長沮と桀溺という二人の男が畑を耕しているのに出会った。渡し場がどこにあるか子路を聞きにやらせると、長沮は、
「車中にいるのは誰ですか」と聞いた。
「孔丘です」と子路が答えると、
「魯の国の孔丘か。孔丘なら渡し場ぐらい知っているだろう」
と鼻でせせら笑った。しかたがないので、そばにいた桀溺に聞くと、
「おまえさんの名は?」
子路か自分の名前を言うと、
「じゃ孔丘の門人だね」と桀溺は聞きただした。「いまの世の中は洪水の流れのようなもので、誰も手の施しようがないじゃないか。そうとわかっていながら、へたに手を出しては、人の恨みを買い、ああして逃げて歩く男について歩くよりは、いっそのことわれわれのように世を捨てた男のまねをしたほうがいいぜ」
そう言って、畑の上に種をまいては土を覆いかぶせていくばかりである。しかたがないので、子路は車に帰って孔子にそのことを告げると、孔子はがっかりしながらも、
「鳥や獣といっしょに共同生活をするわけにはいかんさ。わしは人間だからな。こうしてあちこち渡り歩くのも、自分の思っていることがなかなかとおらんからだよ」
挙げようと思えば、これに似たような挿話が『論語』のなかにはいくつかあるが、これは孔子が現世派であるという証拠であろう。そして、われわれもまた、酒に心ひかれながらも結局は飯を食って生きる人間だから、より多く現世派でより少なく隠遁派である場合が多い。
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