やがて本気で好きになります

第52回
ブルーノート2 オーナーはドイツ人

アメリカで生まれたジャズを代表するレーベル、
ブルーノートの社長は、じつはドイツ人です。

ちなみに、ECM、エンヤ、FMPといったレーベルも
ドイツ人オーナーです。
面白いことに、これらのレーベルのどれもが
良質のジャズを我々リスナーに提供しています。
彼らにとってジャズは異文化の音楽。
だからこそ、かえって本国よりも、
外側から俯瞰できる立場からのほうが、
ジャズの魅力を的確に伝えられるのかもしれませんね。

話を戻します。
ブルーノートのオーナーの名は、アルフレッド・ライオン。
彼は1908年、ベルリンに生まれます。
幼少時より、ジャズのリズムに魅せられ、
熱心なジャズレコードのコレクターでした。

彼は19歳のときに、ニューヨークにやってきています。
到着早々、港湾労働の職に就くかたわら、
ジャズクラブに出入りをしたり、レコードを収集していました。
しかし、2年後のある日、
彼は、外国人に職を奪われたことに腹を立てた連中から暴行を受け、
本国に強制送還されてしまいます。

しかし、1937年に彼は再びニューヨークの土を踏みます。
今度は移住です。
この背景には、
ヒトラー台頭によるナチズム拡大が無関係ではありません。

移住先のアパートはジャズクラブに近い7番街235番地。
ここは、やがてブルーノートのオフィスとなりました。

さて、ライオンだけではなく、
ブルーノートを語る上で、
欠かすことの出来ない重要な人物を紹介したいと思います。

一人は、カメラマンのフランシス・ウルフ。
彼もドイツ人で、ベルリン時代からのライオンの友人です。

もう一人は、リード・マイルス。
デザイナーです。
彼はシカゴ生まれのアメリカ人。
ブルーノートのジャケットデザインは、彼の手によるものです。
以前、“ ジャズマンの頭をチョッキン”した
クラシック好きのデザイナーの話を書きましたが、
彼がまさにその人です。

そして最後に、ルディ・ヴァン・ゲルダー。
録音技師です。
ライオンからのディレクションにより、
彼の録音するブルーノートのサウンドは、
中域に音を密集させた迫力のあるサウンドとなりました。
彼の技術なくしてブルーノートのサウンドは語れません。

ライオン、ウルフ、マイルス、ヴァン・ゲルダー。
この4人の才能が結集して生み出された奇蹟が、
ブルーノートというレーベルなのです。

上記4人の誰か一人が欠けても、
ブルーノートは歴史に残る名レーベルには成りえなかったでしょう。

様々な才能が、もっとも幸せな形として集結、融合したのが
ブルーノートレーベルなのです。

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『ブルーノート再入門
モダン・ジャズの軌跡』
行方 均

 


様々な角度からブルーノートのエトセトラを俯瞰できる好著。

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2005年12月19日(月)

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