第267回
実践! 中国古陶磁器コレクターへの道
前回のコラムで、中国古陶磁器コレクターになる為に
「まず一つ買ってみよう」という話をしました。
どんな趣味でも心底それを好きになる為には
最初の数歩は無理やりにでも自分で回す必要がある
と言うのが私の持論ですが、
今回はそんな話の続きです。
骨董屋さんをいろいろと巡って、
あなたはようやく
自分に合った中国古陶磁器を一つ買う事に成功しました。
前回、私が「まずは古染付けを買いましょう」と言いましたので、
あなたの手の平には
愛らしい古染付けの小皿がのっているはずです。
では、その後どうしましょう。
ただ眺めていても、全く面白くありません。
何故なら、
まだ深い知識がない間は明時代の古染付けも
あなたが日常使ってるご飯茶碗も同じに見えるからです。
では、どうすれば古染付けの魅力を十分に感じられ
中国古陶磁器への興味が深まっていくのでしょうか?
その方法を私の経験を元にして具体的に説明いたします。
まず、買ってきた古染付けのお皿を手に持ったまま、
その皿が焼かれた約400年前にタイムトリップしてみましょう。
中国では次に興る清朝の太祖といわれるヌルハチの侵略によって、
北京周辺は戦乱の火が上がっています。
人々は満州族の侵入に怯え、女・子供を隠します。
紫禁城周辺には明の精鋭部隊が集結し、
ピリピリしたムードが漂っています。
古染付けが焼かれた17世紀初頭は
正に明朝が滅んでいく時期だったのです。
また、当時の日本も国内的には
江戸時代もようやく落ち着いた所でしたが、
対外的には、正に鎖国令が出されようとしていた所です。
そんな大変な時代に
京都と景徳鎮の民間人達は一体何をやっていたのでしょうか。
景徳鎮は明時代の末期には
すでに皇帝の窯である官窯としての仕事が激減していました。
当たり前ですが、
さすがに自らの王朝が滅びようとしている時に
陶磁器製作にうつつを抜かしている余裕はありません。
そんな状態でも、景徳鎮の窯場の煙突から
煙が立ち上らない日はありませんでした。
いくら政治が乱れても、民間人は経済活動を止めません。
北京が攻められている時も、
景徳鎮の陶工は豊富な民間需要を満たす為、
大量の磁器を焼き続けていました。
日本も同様です。
安土桃山時代から江戸時代に移り変わろうとする
戦国の世にあっても、
京都のお金持ち達は優雅に生活しておりました。
そんなお金持ち達によく売れるからと
商人は中国景徳鎮に磁器の製作を命じ、それを輸入します。
それが高じて、デザインまでも
日本からの指示で焼かれた磁器が「古染付け」なのです。
そんな時代背景を知っていれば、
単なる小皿が小皿に見えなくなってきます。
今、自分の手の平に乗っている小皿は食器ではなく
「歴史」そのものだと感じられるようになってきます。
そして、当時これを焼いた陶工、
藁で丁寧に梱包する輸出業者、
輸入した大阪商人、
世間が騒乱の時期においても、
優雅にお茶をたてている京都の公家や
お坊さんなどの顔が思い描けるようになったら、
あなたも一人前の古陶磁器コレクターです。
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古染付けの中でも人気が高い吹き墨の兎の小皿
この技法は、初期の伊万里焼に引き継がれる。
古染付けでもこのような人気の品は高額。
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