幸せに生きるためのキーワードは「明るく考え・本気でやること」
「趣味はQさん」やる気起しの仕掛け人・山崎きよしさんが笑顔で語る

第49回
株で資産を創った人は(2)

「門前の小僧、習わぬ経を読む」
山崎にも明治生まれの女性投資家の母の血が流れているのか、
銀行に入って3年目、投資信託を購入しました。
兜町の証券会社の集金のついでに、営業の窓口に寄りました。
夏のボーナスの半分の金額でした。
このことはダレにも話しませんでした。
何かヒミツを持ったような気分でした。

どうゆう訳か、
その翌日から日本経済新聞を丹念に読むようになりました。
それまでは、朝出がけに、あわただしく
社会面とスポーツ欄に目を走らせるだけだった山崎でした。
入社後の新人研修の時、
銀行員の必読紙と言われて購入したものの、
3年間は無味乾燥な新聞でした。
それが、少し早起きになり、
赤鉛筆持って一面の政治・経済面から読むようになりました。
週末に、切り抜いてスクラップに整理する。
その変化に自分でも驚きました。

集金の仕事とはいえ、兜町へ出かけるのが、楽しくなりました。
胸を張って一人前の投資家?の気分でした。
証券会社のボードには
日経平均、為替レート、主要株の値段が
白いチョークで書かれていました。
それも手帳にメモして店に帰りました。
本店営業部のお客様には上場会社が多く、
訪問先の経理部長さん方に
「キミはずいぶん会社の内容に詳しいね、」
と云われる機会が多くなったのは、
こんな経過があったからでしょう。
1960年ころは、日経平均800円前後、
為替は固定レート360円の時代でした。

このころ、兜町の本屋で、
題名に惹かれて「日本天国論」を買いました。
内容に驚きました。
敗戦以来希望と自信を失いかけていた日本人に
希望と勇気を与える本でした。
「一億総ざんげ」を筆頭に
日本ダメ論ばかり読まされてきた山崎にも、
元気と希望が湧いてきました。
著者「邱永漢」という人の名を初めて知りました。
さらに、「サムライ日本」に励まされ、
「キュウ・エイカン」先生の名が鮮明に記憶されました。

そして、2年後、係長として渋谷支店に転勤、
ここで直木賞作家・邱永漢先生との運命の出会いとなるのです。

読者のみなさまへお願いです。
どうか
「第1回邱永漢先生へのラブレター」
「第3回Qさんは人生の達人」を、
ぜひ、もう一度お読み下さいませんか。
そして、短くて結構、
ご感想を山崎宛メールしてくださいませんか。
楽しみにお待ちしています。


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