「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第732回
蝦蛄と穴子と蛤と(その1)

最初に訂正。
今週月曜の当コラム(729回)において
小岩の町で最後に食べたのは2000年9月の
ラーメン店「三五郎」だったと記したが
読者のS田さんより以下のご指摘があった。

小岩の町は8年ぶりと書いてありますが、
昨年か一昨年南小岩の「とん松」を訪れていますね。
その際4軒隣に住んでいる者ですとメールをしましたら、
早速貴君より返信をもらいました。
やっと訪問出来ましたという内容でしたよ・・・

おっしゃる通りで
確かに昨年5月に「とん松」を訪れている。
それも往年のカリスマ講師、あの金ピカ先生と――。
そのときの模様をこのコラムでも紹介した(489回参照)。
にもかかわらず、
それを失念していたのは「とん松」の所在地を
てっきり新小岩だと勘違いしていたからである。
小岩と新小岩、それぞれの南口商店街は
ちょいとばかり似ているといえば似ているのである。
それにしても迂闊(うかつ)であった。
ここにあらためて訂正いたします。
S田さん、気づいていただきまして
ありがとうございます。

さて遅ればせながら本題。
今回はJ.C.が「江戸前鮨とは何か?」――
このことを初めて教わった「弁天山美家古寿司」。
折にふれて引き合いに出すので
読者の中には「おい、おい、またかよ」と
眉をひそめる方も少なくあるまいが、しばしご容赦を。

隅田川の花火が復活した1978年が初訪問だから
すでに30年以上の月日が流れた。
そのときは平目・小肌・穴子にすっかり魅了され、
目からウロコが落ちるやら、全身に鳥肌が立つやら、
とにもかくにも、大変なことになった。
あの夜のことは生涯忘れ得ない。

今週末には書店に並ぶはずの
「庶ミンシュランA」の取材を兼ね、4人で訪れた。
当夜はつけ台がいっぱいで
テーブル席しか予約が取れないほどの盛況ぶり。
記憶は定かでないものの、
おそらくテーブル席は初めてか、
二度目の体験ではなかろうか。

「美家古」といえば何たってにぎりだが
それだとあっという間に食事終了となってしまう。
まずはビールだ。
先代の四代目の時代はキリンしかなかったが
当代はよりフレキシブルで、アサヒもサッポロもある。
ただし、焼酎だけはいまだに置かない。
自分のにぎる鮨に焼酎はマッチしないと
考えてのことだろう。

小やりいかのゲソがスッと出された。

小粋なやりいかゲソ
photo by J.C.Okazawa

甘酢の塩梅がほどよく、
何とも気の利いた突き出しなのである。

            =つづく=

 
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2009年4月23日(木)

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